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筑後川上流 明治の大洪水から千町無田の開発

明治22(1889)年の筑後川大洪水によって生活の術を失った多くの小作農民は,600名がハワイへの移民を決意した。しかし,移民の選に漏れた残り組も多く彼らは筑後川を遡って千町無田の開拓に挑むことになる。この開拓を指揮したのが旧久留米藩士の青木牛之助である4)。青木はこの千町無田開拓の許可を得るために大変な苦労をする。県が福岡と大分にまたがっていたことも許可が下り難い原因であった。青木は上京して,時の明治政府の要人だった山岡鉄舟に面会するなでの苦労を重ねた末,ようやく開拓申請の許可を得る。(平成19年4月1日 「農業と科学」千町無田(大分県九重町)の黒ボク土水田開拓史に思うから抜粋)

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