廃藩置県と土木費(筑後川の治水費用)をめぐって
- YAHIRO KAZURO
- 2024年8月30日
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更新日:2024年9月1日
明治4年11月14日、3府302県を3府72県に統合。柳河県・4ヶ月で廃止され、久留米県・三池県と合併。
筑後一国を範囲とする三潴県。筑前一国を範囲とする福岡県、豊前一国を範囲とする小倉県が成立。明治9年4月18日には小倉県が福岡県に編入合併され(旧中津県は大分県に編入合併)、三潴県は佐賀県を編入合併。
三潴県は福岡県に編入・合併され(旧佐賀県は長崎県に編入合併)、現在と同じ範囲の福岡県が成立。
三潴県が廃止され、現在と同じ福岡県が成立すると、明治12年(1879)には県会が開設され、警察費・土木費・衛生費・教育費・郡区役所費・戸長役場費など地方税から支出される経費の予算とその徴収方法が審議される。そのうち、土木費については、府県会の議決により、旧慣に基づいて支出することが認められたため、多くの府県で、土木費の支出方法が大きな争点となる。
福岡県の場合、土木費の問題は、筑後(旧三潴県)地域選出議員が治水費の地方税支弁を主張し、筑前(旧福岡県)・豊前(旧小倉県)地域選出のほぼ全ての議員がそれに反対するという地域間対立として展開。筑前・豊前地域にとっては、治水費が地方税から支出されれば、筑後川や矢部川といった大きな河川を有する筑後地域が有利となると考えられた。
他方、筑後地域では、江戸時代以来三潴県の時代まで、筑後川などの治水は、藩や県が年貢米とは別に直納銀代米(ぎんだい 久留米藩、慶応二年に傭役米と改称)や歩米・弐斗五升米(柳河藩)を徴収して実施していましたから、福岡県になって地方税が徴収されるにもかかわらず、治水費が地方税から支出されずに流域の郡・村の負担となるのは不当であると考えられた。しかし、県会では、治水費の地方税支弁案は、常に筑前・豊前地域の反対によって否決されました(明治24年可決)。
こうした状況に業を煮やした筑後地域の人々は、明治政府に対して、筑後一国(旧三潴県)を福岡県から分離・独立し、大分県の日田地方を加えて新しい県を誕生させることを請願し、分県運動を展開。但し、分県運動を行ったのは旧久留米藩の人々であり、旧柳河藩の人々は参加していません。そのためもあってでしょうか、明治政府は筑後地域の分離独立を認めず、分県運動は失敗に終わりました。 (柳川市)
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